稽古週報

刀の縁で道場に集う者たちの、斬れる喜び、斬れない悩み。
斬った・斬れないだけでない、武徳院での日々をレポートします。
非日常的な刀が、いったい自分にとって如何なる存在なのかを模索する歩み、周り道・迷い道の足跡が稽古週報に記されてゆきます。
ただし、稽古の道の途上ゆえ、勝手な思いこみ、勘違いもあるやもしれませぬ。ご勘弁を……。
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< March 2017 >>
この時代に真剣を持ち、剣の道を志すとは、ただ単に剣の歴史や文化といった狭い範囲に止まることなく、すべての先人達が残してくれた大いなる遺産である日本の歴史や文化に剣を持ってわけいり、自分自身の身体と心で丸ごと飲みこみ、咀嚼し、そしてそれを体現することだと僕は思っています。(本文より抜粋)
真剣----初めてそれを手にした時、老若男女を問わず、みな目を輝かせ、喜びにあふれた表情をするという。人の心の奥深くにある、最も原始的で純粋なところをぐっと掴んで放さない、「真剣」の魅力とは何か。試斬居合道の道場を主宰する著者が、その真髄を伝える。

amazon
セブンアンドワイ
師範の大伯父である作曲家・須賀田礒太郎の作品を集めたCD。小松一彦指揮、 神奈川フィルハーモニー管弦楽団演奏。音楽評論家・片山杜秀さんによる渾身の 解説つき。
須賀田礒太郎についての細かいことはbutokuin.comにて。

タワーレコード
HMVジャパン株式会社
武道を志す者の必読書。
山岡鉄舟の体得してきたことの集大成の書。剣禅一如とは、どのようなことか、無刀に至ったのはなぜかなど、鉄舟だから到達しえた境地。
芸事(当然「武芸」も含む)に関わる原点の書。数ある翻訳書の中でも、林望先生訳のこの本は初心者でも理解しやすく、おまけに原文、総ルビなので、これをRecommend!
密教を体系的に語り、現代においての意味を示す書。あやしい密教本を読んで、怪しげな教団に入って、痛い目を見ないためにも、この本がお薦め。
本来「不立文字」のものを文字で伝えようとした良著。巻末の禅語索引は秀逸。
パンクとは、音楽スタイルや外見などではなく、生きる姿勢、生きザマだということが、このアルバムから伝わってくる。PUNK IS ATTITUDEだぜ!
ラモーンズのベスト盤といえば、これだ!「1,2,3,4!」ではじまる軽快なパンクワールド。これ聴いて、元気になって、「Hey,Ho,Let's Go!」どっかにブッ飛んでんでいきたくなるぜ!
美は乱調にあり、あるいは、美は性を超える。あまりにも美しいから儚げにも見えるが、発表から30年以上経た今も聴き続けられるのは、実はその強さゆえなのだろう。
U2のアルバム、ベストは多々あるけど、やはり現在進行形が一番彼等らしい。来日公演の一曲目「City of Blinding Lights」の中のOh You Look So Beautiful Tonight!という一節で、バンドと観客が一体化した時の熱さと感動は忘れられない。
「TMGE106」Thee Michelle Gun Elephant
日本人によるRock&Punkの真骨頂。<ヤニで固めてるタンクちぎれて あふれだしたんだ「愛という憎悪」>一撃必殺のキラーチューン満載だね。
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
箱根神社奉納演武を終えて 日下部 泰生


箱根神社は凛とした空気が張りつめていて気持ちがよく、
その場の力に乗じて皆の気合いのかけ声も普段より大きく出ていて
僕も気持ち良く楽しくやれたが、しかし型の出来はそんなに良くはなかった。

まあ方向性は間違ってないがまだまだ怠けずにやらんと話にならんよ!。」
という神様からの励ましのメッセージと勝手に解釈して、
日常も剣もシビアに追求していこうと心に誓った秋の日でした。敬具


たいき
| 12、日下部泰生 | 15:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
真剣を読んで :日下部泰生

半年前真剣が出版された時に読んだ感想と、もう一度読み直しての感想はやはり違っています。
以前読んだときの感想は色々な複雑な要素が絡まり合い、一見矛盾したような事柄が平気で隣り合わせに並べられ調和して、あらゆるところに真実があり、しかしその真実とは常にとどまることは無い「空」である。ふむふむなるほど、で、俺はその中でどうしたらいいんだ、というような読後感でした。確実な指針が示されていない様な気がしたのです。
ただ剣を振っていれば全部OK救われるぜ。というような単純で楽な指針が欲しかったのかもしれません。しかし今回もう一度じっくりと読み直してみてふと思いました。、ようは「真剣に」というところが重要なのではないかと。
「アホかおまえは!何読んでたんだよ。」
と怒り呆れる師範の顔が目に浮かびます。


自分は道場で、
「お前は器用だから型をとらえるのは巧いけど、あくまでそれは型であってそれが全てだと思うなよ。」
というような言葉をたびたびいただきます。「真剣」を読み直し、稽古での師範の言葉の意味を考え最近の日常の雑多な悩み事を振り返ってみるとまさにそれが原因で悩んでいる自分に気が付き愕然としました。つまり私は真剣にやらなくても器用だからそこそこどうにかなる人生を歩んで来たことにまったく無自覚だったのです。
以前「真剣」に指針を感じられなかった自分とは真剣に物事に対するということを本質的にはまったく捉えられていないので無意識で無視していた。ということになります。恐ろしい、自分などとても信用できた輩ではありません。物事を自分の都合の良いように楽なように解釈して、さらには自分はできるやつだとすら思い込んで平気な顔で生きています。これだから仏教では自我を捨てろと言うのかな、と思いました。
それに気が付いたとしても今の自分には、真剣になることも自我を捨てることも容易なことではありません。しかしここで諦める気は毛頭ありません。今の自分にできることは日常の些細で下らないような事柄一つ一つに真剣に向きあっていくことしかありません。自分の周りの物事に優劣を付けること無く全て大事に捉え生きていこうと思います。
これからも至らぬところは常になくならないでしょうが精進していこうと思います。
| 12、日下部泰生 | 00:43 | comments(0) | trackbacks(1) |
<< 2/2