稽古週報

刀の縁で道場に集う者たちの、斬れる喜び、斬れない悩み。
斬った・斬れないだけでない、武徳院での日々をレポートします。
非日常的な刀が、いったい自分にとって如何なる存在なのかを模索する歩み、周り道・迷い道の足跡が稽古週報に記されてゆきます。
ただし、稽古の道の途上ゆえ、勝手な思いこみ、勘違いもあるやもしれませぬ。ご勘弁を……。
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この時代に真剣を持ち、剣の道を志すとは、ただ単に剣の歴史や文化といった狭い範囲に止まることなく、すべての先人達が残してくれた大いなる遺産である日本の歴史や文化に剣を持ってわけいり、自分自身の身体と心で丸ごと飲みこみ、咀嚼し、そしてそれを体現することだと僕は思っています。(本文より抜粋)
真剣----初めてそれを手にした時、老若男女を問わず、みな目を輝かせ、喜びにあふれた表情をするという。人の心の奥深くにある、最も原始的で純粋なところをぐっと掴んで放さない、「真剣」の魅力とは何か。試斬居合道の道場を主宰する著者が、その真髄を伝える。

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師範の大伯父である作曲家・須賀田礒太郎の作品を集めたCD。小松一彦指揮、 神奈川フィルハーモニー管弦楽団演奏。音楽評論家・片山杜秀さんによる渾身の 解説つき。
須賀田礒太郎についての細かいことはbutokuin.comにて。

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武道を志す者の必読書。
山岡鉄舟の体得してきたことの集大成の書。剣禅一如とは、どのようなことか、無刀に至ったのはなぜかなど、鉄舟だから到達しえた境地。
芸事(当然「武芸」も含む)に関わる原点の書。数ある翻訳書の中でも、林望先生訳のこの本は初心者でも理解しやすく、おまけに原文、総ルビなので、これをRecommend!
密教を体系的に語り、現代においての意味を示す書。あやしい密教本を読んで、怪しげな教団に入って、痛い目を見ないためにも、この本がお薦め。
本来「不立文字」のものを文字で伝えようとした良著。巻末の禅語索引は秀逸。
パンクとは、音楽スタイルや外見などではなく、生きる姿勢、生きザマだということが、このアルバムから伝わってくる。PUNK IS ATTITUDEだぜ!
ラモーンズのベスト盤といえば、これだ!「1,2,3,4!」ではじまる軽快なパンクワールド。これ聴いて、元気になって、「Hey,Ho,Let's Go!」どっかにブッ飛んでんでいきたくなるぜ!
美は乱調にあり、あるいは、美は性を超える。あまりにも美しいから儚げにも見えるが、発表から30年以上経た今も聴き続けられるのは、実はその強さゆえなのだろう。
U2のアルバム、ベストは多々あるけど、やはり現在進行形が一番彼等らしい。来日公演の一曲目「City of Blinding Lights」の中のOh You Look So Beautiful Tonight!という一節で、バンドと観客が一体化した時の熱さと感動は忘れられない。
「TMGE106」Thee Michelle Gun Elephant
日本人によるRock&Punkの真骨頂。<ヤニで固めてるタンクちぎれて あふれだしたんだ「愛という憎悪」>一撃必殺のキラーチューン満載だね。
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『日本刀は素敵』を読んで:日下部泰生
 

*『日本刀は素敵』渡邊妙子著(静岡新聞社)を読んでの感想。

『日本刀は素敵』を読んで心に残った文章をいくつか引用させて頂きます。 

「一つがきちんと出来ない人間は、すべてがいい加減になる。」 
佐野隆一翁の言葉、すべてがいい加減な僕には耳が痛いばかりですが、美しい日本人の姿とはこのような基本姿勢を持っている人の姿ではないかと感じます。 

「武士は己の本分を尽くすことですよ。自然の恵みに感謝して、自然の摂理を感受することです。」 
佐藤寛次氏の言葉、武士としての在り方を超えて、人としての在り方にも通じる言葉だと感じます。剣禅一如 

進退窮まって宗近は壇上に上がり、不浄を隔てる七重の注連縄を張り、四方に本尊を懸け、幣帛を捧げてひたすら祈りました。 
謡曲のくだりで、三条宗近が稲荷明神を相槌に、帝の御剣を打つ場面です。もちろんフィクションだとは思いますが、優れた芸術作品の多くはこのような雑念の入る余地のない、ある種の変成意識状態でつくられていると思います。この本の中盤に書かれているアフリカの神への祈りから始まるマタカム人の鉄づくりにも通じると思いました。 

北条泰時が、異常気象、飢餓、略奪、紛争など混乱の世に、全国に及んだ御家人たちの風紀を正すため、質実剛健を武士の「政道」として掲げ、正面から果敢に立ち向かった時代、武士の腰物にも変化が伺え、拵えの華美を抑えることで、その抑制が刀身である中身の充実へと向けられた。 
いつの世にも乱世はありますが、今、我々が生きているこの時代もすでに乱世の様相を帯びているように感じられます。今こそ質実剛健、鉄を鍛え、鉄そのものに華を持たせるように、身心を鍛錬することが必要な時代なのではないでしょうか。 

「刀を見るは、目に心を任すべし。心に目を任すにより見ちがえ多し。その故は、目は正直なれども、意より丈なし。次第なるによって、心のひいきする方へ、目もつれてゆくものなり」 
黒庵著『解粉記』より。 
思い込みにとらわれずにありのままを観ることは簡単ではありません。人生を懸けて取り組むべきテーマのようにも思えます。修行 

「反りを出そうとして生まれた曲線は面白くない、直線らしい直線を作ろうとして生まれた曲線なのだ。だから緊張感があるんだ」 
石の彫刻家、流政之氏の言葉、これは絵を描いている私にとっては大変貴重な言葉です。筆で緊張感のある曲線を引くには、このような精神の裏付けがなくてはならないと思います。 

以上が一読して心に残った言葉です。この本を読んで、改めて日本刀は日本人の精神性を表現した類い稀な芸術品だと感じました。
自然からとれた鉄を 炎によって鍛え、美しい反りの造形美を形作り、鉄そのものの美しさを引き出す。
しかしそれは武器としての実用性を追求した結果生まれた美しさでもあります。
余計なものが一切そぎ落とされた造形美、鉄の中に見える人為と自然の境界線を超えて表れた風景の美しさ、そして武器であることによる生と死に直結した 凄み。
もはや「芸術品」としてカテゴライズするのも違和感があるような感じがします。
まさに『神器』なのかもしれません。 

| 12、日下部泰生 | 00:21 | - | trackbacks(0) |
原始経典の言葉  :日下部泰生

*『一個人』 特集「仏陀の言葉」を読んでの感想。

ここに書かれている言葉の一つ一つが骨身にしみる。
極限まで余計なものを削ぎおとした、とても厳しい言葉だと感じた。
この言葉の数々は実践しなければ何の意味もないものである。
しかも、生半可な覚悟では決して実践できない事柄ばかりである。

道場で学ぶこともやはり実践あるのみで、似たような厳しさを感じる。
常に情報は開示されている。
しかしそれを咀嚼して血肉として活かせるかは、
自分の覚悟次第である。 
| 12、日下部泰生 | 00:00 | - | trackbacks(0) |
「スピリチュアル サティスファクション」  :日下部泰生


インドはエネルギッシュであった。砂埃とクラクションの喧噪があふれ、人々がひしめき合って暮らしている。


制御やコントロールといった概念が行き渡らないのもうなずける、気持ちが良いほどの混沌ぶり、とにかく良くも悪くも元気であった。


その中で佐々井秀嶺師はインド人に負けないエネルギーと信念を持ち、仏教の復興に尽力している。



今回その佐々井師と師範の縁により貴重な体験をさせて頂いた。


日本国内での考え方が通用しないインドでの奉納演武、及び真剣の奉納(まだナグプール空港を出ていないが)をなんとか達成できて、

本当に良かったと思う、この機会を創ってくれた佐々井師、そして師範に感謝。


インドという個性の強い場所で、武徳院の個性的な面々と過ごした日々は、自分の我を浮き彫りにする良い機会にもなったと思う。



龍樹大寺で師範が奉納演武をする前、一緒に黙想をする時間を頂いた。


その時、師範に肩口を押さえ込まれ、「もっと深く気を降ろせ。」というメッセージを頂いたように感じた。


インドでの刺激的な時空の中で、好奇心と緊張感などが増幅され、本分を見失いがちで、

落ち着きの無い僕の特徴が顕著に現れていたように思える。


しっかりと腰を据えて、己の内部に広がる深みに目を向けて、今、自分が本当にすべきことは何なのかを、

思慮深く感じ取った上で行動することが僕には必要だと思った。




そして今回のインドでは、笑顔の大切さに改めて気付かされた。


人と笑顔でふれあえた時に理屈ではなく、あたたかな気持ちになり、満足感を感じる。


ナグプールでガイドをしてくれたラレンドラさんが、インド仏教について熱く語ってくれた中の、

スピリチュアルサティスファクションという言葉が脳裏に残った。日本語に訳すと精神的満足感となる。


仏教がカーストの最下層の人々のわだかまった心を溶かし、今多くの人々の心を引きつけているのは、

慈悲を根底に持つ宗教だからではないだろうか。


『私はあなたのことを大切に思っています。』と心から伝えられた時、すごく安心した信頼関係が生まれる。


とてもシンプルだが、決して簡単なことではなく、我を投げ出して精神的に丸裸になり、

自分が傷つくことを恐れない精神状態でないと、偽善的になってしまう可能性がある。



佐々井師は、酸いも甘いも呑み込んだ上で、子供の様な無邪気な笑顔を見せる。


あの笑顔には、国境や人種や言語や宗教の違いなど、様々な壁を軽くすり抜けてしまう力がある。


僕もあんな素敵な笑顔で笑えたらと思うが、とてつもなく遠い道程な気がする。


しかし千里の道も一歩から、苦労を厭わず様々な葛藤を咀嚼して呑み込んで行けばいつか、と願う。

| 12、日下部泰生 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
「しあわせる力」を読んで :日下部泰生

夕暮れに、夕飯の買い出しにかみさんと出かけたとき、遠くの空がピカッと光った。
僕はとっさに雷だ!と言い、かみさんは花火だよと言った。
僕はピカッのすぐ後に雷を連想した。

つまり前後際断出来ていない、ピカッは実際に起きた現象であるが、
それを雷だと思ったのは『私』であり、
実際は雷ではなく花火かもしれない、思い込みが現実をありのまま認識することを妨げている。

道場の稽古で、良く斬れている時は何も考えていない、
逆に悪いときはあれこれ考えて、さらにどつぼにはまる。
日常生活でも同じで、いろいろなタイミングがバッチリ合っていると感じられる時は、
自分が環境に無意識に応じているのか、何も考えずに動ける。
逆に何かタイミングがはずれ続けるような時は、
原因を究明しようと必死に考え、さらにどつぼにはまる。

これからは、調子が悪くてもほっといて、
何も考えない訓練をしようと思う、結果は乞うご期待です。
| 12、日下部泰生 | 10:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
「放心を求めよ」  :日下部泰生

ただ一本一本の線を描く行為そのものに成りきって、
筆のいきたい方へと運ばれて行く、
そして一瞬一瞬の積み重ねとしての線が集合体となり
生命体のように有機的なゆらぎをもったかたちを成してゆく、
画面の構図的な中心は無く一本一の線自体に中心があり、
画面いっぱいに広がった線全てから気が満ちあふれてる、

そんな絵を描こう!

これが最近の目標なのですが、
しかし言うは易し行うは難しで、
煩雑な雑念に流されている状態で描いていると
生命感の抜けた浅い絵になる。

絵を描く時私は特に意識して気息を整え、姿勢を正す。
そして一本の線を描くことだけに集中する。
これはやや突っ張った状態といえるかもしれませんが、
繰り返しその状態で線を描いているとふとした瞬間、
集中状態にありながらも心身脱力して、
筆が感覚とズレることなく自然と動き、
そのまま永遠に描いていられる様な
とても気持ちが良い心境になることがある。

真剣で斬る時も同じで、
身体の脱力と気の張りを上手く両行させられると良斬れる。
絵にしても剣にしてもまだまだむらが多く、
偶発的にしか放心出来ませんが、
たゆまず繰り返して鍛錬してゆけば
放心を体得するのもそう難しくはないと思ます。

怠け者の自分に日々精進と言い聞かせながら

日下部泰生
| 12、日下部泰生 | 10:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
演武   : 日下部泰生

フランス大使館旧館取り壊しにあたり行われたアートイベント、
No Man’s Landでの演武、
そして私はライブペイントもさせて頂きました。



私は絵描きとして、真剣で『斬る』ということを日々、創作活動の志としています。
今回の演武はその意志をさらに拡大し深めて行こうと決意する貴重な体験となり、
そして道場との縁を改めて感謝する機会となりました。

これからも『剣筆一致』精進を怠らずやっていこうと思います。
| 12、日下部泰生 | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
箱根奉納演武 :日下部泰生

今回の奉納演武は門下生になって初めての演武、
つまり演武で斬ることができるので、すごく楽しみにしていた。
箱根神社道場での練習の斬れ味はまずまずで、玉串奉納が終わりいざ本番、
秋の夕暮れの冷気の中神楽殿へと出て、神聖に静まった境内を見渡す。
参拝客は神妙な面持ちで様子を伺っている。
少し間を置き、上体が力んでいるのを意識しつつ深めの呼吸をして型に入る。


袈裟! 手元に鈍い感覚、

斬り上げ! また手元に鈍い感覚が残った。

「ありがとうございました。」と心の中で唱えながら、神前に一礼する。
やはり本番では緊張が体の力みにつながってしまい、斬れ味は今ひとつだった。


演武が終わり宿の温泉につかっていると、小林さんから
「タイキは刀のスピードは遅い。」
と、自分が思い込んでいた演武の反省点と別の角度からポイントを突かれ、
自分では斬れているからまあ良いだろうと思っていて、
あまり意識していなかったポイントなので、はっとさせられた。

後日師範に伺ってみると、
「お前は無意識のうち、探りながら斬っている、多分性格だろ。」
と言われ、またはっとさせられた。
幼少時代から思い返してみると、かなり思い当たるふしがある。
これだから道場は面白い!

これからは、半巻だろうが太巻きだろうが、とにかく思いっきり斬ってやろうと思う。
そして人生も探りながら生きるのではなく、思いっきり生きてやろうと思いました。

| 12、日下部泰生 | 14:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
よろしく! : 日下部 泰生
先日、入門しました日下部泰生です。
これから本格的に斬ってゆくことになりますが
当面の課題は型の稽古の時と同じく、自分の今出せる力をその都度最大限に発揮することです。

まだまだ未熟者ではありますが、その分可能性も無限大だと信じ、手抜きをせず
に一歩一歩着実に人生の深みに向かって歩んで行く覚悟でいます。

一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる♪


| 12、日下部泰生 | 15:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
Nageを観て :日下部泰生

舞台が始まって中盤にさしかかる頃、介錯のかたちをとる場面がありましたが、そこでヤンアレグレ氏の首がほんとうに斬れるのをちょっと期待してしまいました。
というのも処刑の場面が観たいというわけではなくて、命懸けで何かやる人を観たいという思いからです。

舞台の上でも日常でも、命をなげうっても大丈夫。というような自信を持って実践している人を観ると理屈ではなく勇気が湧きます。

私が生きている上で感じる恐怖の根っこには大抵死ぬことに対する恐怖があるように思います。だから何かを突き詰める手前で理性的にブレーキをかけてしまうことが多々あります。それは健全なことかもしれませんが、つまらないことだとも思います。


 
多分理性が感じる恐怖心を取り払っても、生き物としての本能が働いて、ギリギリのところまでいっても結局死なないということもあるでしょう、だから理性的なところでちまちま考えてびくびく生きるより、自分の命ごとぶん投げて生きてる方が、よりダイナミックで自由な人生を生きれる気がします。

まあ頭ではそんなことを想いながら、ヤバい仕事ないなぁ、刀どうやって手に入れよう?などと小市民てきな悩みからなかなか抜け出せない私ですが…

えーい!めんどくせーなるようになりやがれ!
| 12、日下部泰生 | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
一期一会   :日下部泰生
先日行われた一期一会の会では、おもてなしをしなければという気持ちで少し力んでしまい、結果あまり人とも話せず、たいしたこともしていないのに疲れました。

まあ慣れない人と接する時は嫌でも緊張するので、出来るだけ力を抜いて、知らない人にも積極的に話しかけて、よく笑えるようにしようと思いました。

どんなときでもほどよくリラックスしていられるようになれば自分としては理想的だし、そのほうが一緒に過ごす人も居心地が良いと思うので、次回の一期一会の会ではそのように振る舞えるように意識しようと思います。


まだ自分のことで精一杯で、道場のことまであまり気が回りませんが、自分を磨くことがゆくゆくは道場のためにもさらにその先に繋がって行く人のためにもなることを信じて、日々精進していきます。
| 12、日下部泰生 | 21:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
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